つまり、独身者に厳しい評価を下す既婚者の管理者は、職責や期待される能力を基準にしての相対評価ではなく、評価によって定まる労働条件を基準にして職務を評価するという、メビウスの輪のようなことをやる傾向にあったわけです。
独身で管理職という人もいたので、その方の評価に特徴のあるサンプルを期待したのですが、あいにくその方も既婚男性の管理職と変わらないものでした。彼へのインタビューの中で、自らが独身の管理職でありながら「子どもがいる奴は仕事に向ける目の色が違う」「独身がどんだけ仕事に頑張っても、それは自分のためだけでしかない。ただの自己満足だ」と力説されたのですが、「だったらなんであんたは管理職やれてますの」ということですよ。思うに、これは管理職研修や管理職の集まりの中であまりにも独身であることを詰られすぎて、管理職である自分が独身であることを例外視して管理職であることだけに寄りかかる思考パターンができてしまったのかなと想像してます。
たとえば組合時代、「独身者は責任感がない!」って管理職や重役や社長に何度言われたことか。
僕も独身ですし、組合としても聞き捨てならないので具体的にどんな無責任を問題にしているのかを聞くと、
「家庭を作らん奴は、自分のことしか考えてない。」などと言うわけです。
「それなら逆に、家庭を作った奴は、家庭のことしか考えないんじゃないですか?」と聞けば、
「そんなことはない。家庭は職場と同じ。家庭のある奴は、和を乱さない努力をする」と答えるわけです。
「独身者にだって両親がいるわけで、そこには家族があるわけですよね。つまり、これまでの危惧は独り暮らしの弊害を説いてるということで、単身赴任、これはいけませんね」と返せば、
「そうじゃない。家庭を持つと仕事に臨む覚悟が変わるんだ。扶養家族から大黒柱になる、その責任感だ。いわば、人生に臨む覚悟だ」と、これまた答えるわけです。
「独身で一人暮らしであれば、家計という意味で大黒柱なわけで、自分が稼がなきゃ食えないというその覚悟に変わりなくないですか」と聞けば、
「全然違う。俺が倒れたら、家族が餓える。妻が、子供が餓える。この発想がないから、覚悟がない仕事ぶりになる」と、怒り交じりにお答になる。